断酒の日々をADHDと歩む

アル依・ADHD・29歳。お酒と距離を置いて生きていく日々の記録。

働くということ

前職の上司に「働くことは生きることだよ」と言われた意味の反芻して咀嚼し続けているのですが、未だに「これだ!」という答えは出せずにいます。

 

ただ、飲まなくなって整理できていることがある、というか、働くことの価値観が自分の中で大きく変化していて。いままでは、「お金を稼ぐ」という意味だけで考えていました。生活にはお金が必要だし、行ったことのないところに行ってみたいし、したことないことしてみたいし、お洒落な服も欲しい、そのためにはお金が必要、だから働く。でもそれってどこか「強制されている」感じがあるんですよね。「お金が必要だから仕方なく」みたいな。

 

でも最近は、「その時生きるために十分なお金があればいいじゃない」と思うようになっている。飲まないでいるとお金がかからない、というのが最大の要因なんですが、「生きていくために必要な分だけ働く」これでいいじゃない、と思えている。字面にするとあまり変わらないんですけど、僕の意識レベルでは大きく違う。

「仕事の目的はお金」と思って働くと、僕の場合はダメになっちゃうようです。働くことに魅力をまったく感じなくなって。逆説的ですが、「必要最低限でいいじゃない」と思った瞬間、やる気がアップしたの「と同時に、「楽しく生きたい!」という気持ちも芽生えてきました。

生きていくための仕事なんだから、人生そのものが楽しくないと、「なんのために」ってなっちゃうわけで、まず人生ありきです。だから、生活のためだけ、生きるためだけに働けばいい。それなら生きることと同義。

 

一生懸命働いて、一生懸命お金を稼ぐ。それはすごく大切だし、リスペクトします。でも、みんながそうじゃなくてもいいですよね。そういう生き方が合わないんなら、違う生き方を探せばいい。僕は、違う生き方を選んでいくのだと思います。

 

あともう一つあって、働くことは他人との接点をどこかで持たねばいけないし、社会との接点も持つ必要があるし、(或いは持つことができる、と表現すべきかもしれない)それが生きるためのモチベーションの源泉になるのかな、ということ。僕が「楽しく」生きるためには「他者とのつながり」が必須条件のようなのです。